上の子が4歳4ヶ月男子、下の子が1歳9ヶ月女子。

上の子は徐々に世界を理解し始めている。駅構内や道路の脇に貼られているポスターを見て、書かれている文章を声に出して読み、ポスターの意味を理解しようとしている。簡単な漢字なら読むこともある。この前は、サーティワンアイスクリームの自販機で、人から漫画でよくあるような吹き出しが出ていて、その中にアイスクリームの画像が貼られている様子を見て、「欲しいんだね」と言っていた。記号的な表現も理解しつつあるようだ。

日々の習慣も身についてきていて、例えば食べた後の食器を片付けるであるとか、寝る前に歯を磨くとか、そういうことが自発的にできる様になっている。研磨剤の入った歯磨き粉の味は嫌いな様だが、嫌そうにしながら歯磨きをせがみに来るのがえらい。しつけは叱るとか褒めるとかよりも、日々の繰り返し、習慣であるのだろう。結局、いくら好ましい行いを身に付けさせようと親が奮闘したところで、発達が伴っていなければどうにもならず、双方のフラストレーションが溜まるばかりだ。

衝動性は前よりもだいぶ減って、世話を見やすくなってきた。寝不足の時やテンションが上がった時は騒ぎまわることもあるのだが、親がどこにいるかは把握していて、見えないところまで行ってしまうことは少なくなっている。

眠りにつくのを嫌がる時には、お化けが来ると言っている。「ねないこだれだ」は怖いので我が家で積極的に読み聞かせた訳ではないのだが、保育園で覚えてきたらしいので利用させてもらっている。外に出ると喜ぶ割には毎回外出を嫌がるので、その時は泥棒さんが来るよ、と言っている。最近は、泥棒さんの話題を持ち出さなくても、一人で残るのは嫌だと焦って外に出てくる。

最近は、飲み物を飲む時にいちいちその場にいる全員に確認を取ったり、何か発見したことがあったら他の部屋にいても呼びにきて教えてくれるのが可愛らしい。

言語や算数に興味がある様なので、幼児用の算数や英語の学習アプリをiPadに入れて、本人が気がむいた時にやらせている。将来お勉強ができてほしいということだけではなく、ポスターなどに書いてあることや時計、カレンダーなどの意味がわかると、本人にとってより世界が楽しいのではないかと思っている。現在やっているアプリが、野菜のキャラクターが出てくるさんすうランドと、とど算数、とど英語、Funexpected Mathなど。課題をクリアするとキャラのカードが増えたり、適宜アニメーションが動作するのが楽しいよう。

トイレトレーニングで、おしっこには行けるものの、うんちはオムツの中にしてしまう習慣が残っていたのだが、それもできる様になった。下の子がトイレトレーニングの進みが早く、うんちをトイレでできたとの報告が保育園からあったため、「素晴らしい」とほめたら、「〇〇くんは素晴らしくない」と上の子がいい、それからトイレに行く様になった。その後はずっとパンツで過ごしている。

上の子にとって下の子は存在が煩わしいようだ。そもそも、下の子の世話にリソースが行ってしまい自分側に割り当てられるリソースが減るのも嫌なのであろうし、下の子が自分のことを逐一真似するのも鼻につくのであろう。駅のポスターで、駆け込み乗車をしている人の周りに四組の目が書かれているものがあり、その意味を上の子が質問したため、「迷惑だからじろじろ見られているの」と説明したところ、「それはだめ」「子供も、赤ちゃんも、お父さんも、お母さんも見ちゃだめ」と言っていた。下の子によく観察されているので、人のことをじろじろ見るのはいけないことだと思うのだろう。

本人に「可愛い」というと、「かっこいい」と訂正される。本人が

願わくば、動画やゲームなどのディスプレイを介した情報の摂取を減らしたい。ゼロにする必要はないが、認知機能に負担をかけると思っている。もちろん外で遊んだりすればその間はやめられるのだが、ずっとは難しい。

おそらく学業的な意味での頭はいいと思うので、より楽しく生きていくための社交性が身に付くよう、家庭や保育園以外の人と交わる機会を増やしていきたい。

下の子は自我が強くなってきて、大変になってきている。まず、頻回授乳がなかなかやめられない。母乳という栄養を摂取するためというよりも、何か口に入れていたいのだと思う。吸っている間は手で何か掴んでいることが多い。フードの紐とか、電源コードであるとか、充電器やらを握りしめている。思えば生まれたばかりの頃から指をずっと口に入れていた。最近は指を口に入れなくなった分、かえって激しい。あえて断乳するのか、自然に任せるのか迷うところ。

夜も何度も起こされるし、休日の昼でも私が布団で横になっていると吸いにきてしまう。

簡単な指示は理解していて、例えば「コップをお父さんに渡して」などの指示は間違いなくやってくれるが、単語数はさほど多くない。発話としては、最近はもっぱら「やーだ」「ほしい」の2語で通している。「ヨイショ」「はい」などの発話もあるが、名詞は他の人を真似て発することもあるものの、安定しない。

意味のない音声は多様で、しかも声が大きい。気分が乗っている時は、一つ一つの動作に異なる発声が挟まれる。小脳の機能が十分に発達していないせいか、一つ一つの動作はぎこちなく、皮膚はマシュマロのようなサラサラマットな質感で、眺めていたり、抱きしめたりしていると癒される。まだ、ヒトよりも猫に近い存在であるし、知能の程度としても大きく変わりはないのかもしれない。

外を歩いている時、上の子の同時期と比べると、親たちの意図を汲んで、目的方向に歩いてくれる。上の子に一定の方向に進んでもらうのは難しかった気がするが、下の子がランダムに進むことはほぼない。上の子よりも周りの人の動作やシチュエーションをよく把握してよく真似る。例えば上の子が着替えているときに上の子のズボンを持ってきてくれたり、

はいって手がかからないかと言えばそんなことはなく、例えば階段を見つけたときに階段を登りたいとか、椅子付きのショッピングカートに座りたいであるとか、そういう欲求の表出が激しい。

また、家の中にいる時には、引き出しや箱の中のものを全部出してエントロピーを増大させる遊びに勤しんでいる。動画やゲーム類にまだ夢中にならない分、親が構っていない時のひとり遊びは激しい。

下の子に関しては、ともかく身体的にも精神的にも健やかに育ってもらうだけである。しかし、できれば卒乳してもらいたいところだ。

 

育児日誌

上の子(今日で4歳の男の子)が風邪を引いた。

日曜日、お出かけ中でも夕食も食べず眠り込んでしまって、よほど眠いのかと思ったら、家に帰って布団の上でゲロを吐き、肩が痛い痛いと泣いた。季節外れのインフルエンザなのだと思う。保育園でも感染者が出ていた。

コロナにかかった時も、短時間熱が上がったぐらいであとは元気だったのだけど、今回は辛いようだ。眠いと寝てばかりいる。寝ながらも、熱に浮かされているようで、時々泣き叫んでいる。

先ほどは、「歯に紫のキノコ生えるのが嫌だ」と泣いて、歯磨きをせがんでいた。ペンギンハイウェイという映画で、そういうシーンがあったのが印象的だったようだ。他にも、巨大隕石落下後の地球がどうなるか、というアニメーションが記憶に残ったのか、「隕石落ちるの嫌だ」と訴えることがある。

言語能力が次第に伸びていて、過去のことや因果関係も次第に表現できるようになってきている。過去のことで語ってくれるのは、カーヴィやピクミンなどのゲームの内容であることが多いけれど、保育園で起きたことを話してくれたりする。だんだんに、会話ができるようになってきている。

トイレットトレーニングも、「トイレでうんちができたらアイスをあげる」作戦でできるようになったと思ったら、「うんちをトイレでしたらアイスなのは嫌だ」と言い出した。ウンチ成功との引き換えではなく、アイスが食べたいのだとのこと。外にパンツを履いて外出した時も、おしっこが出そうになったら大人に教えて、漏らさないようにできるようにはなっているのだが、本人なりに疲れるのだろう。今は、平日は家に帰ってからお風呂まではパンツでそれからはオムツ、土日は外ではパンツにしている。オールパンツではないが、きっとやればできるから無理する必要はないかなとも思っている。考えてみれば、本人だって、平日日中は保育園で気を張って、きっと大変なのだ。

感情的なコントロールがつきやすくなってきて、物事の順序(「△の後に⚪︎しようね」)なども理解できるようになってきて、落ち着いてきている。

遊びに関しては、家だと、本人が望むままにしているとゲームかゲーム実況の鑑賞か、どちらかになってしまう。どちらも、適度であれば良いのだが、そればかりというのは体験として貧しくなってしまうと思いはする。ゲームが悪いというよりは、リアルワールドの刺激の豊かさをもっと提供したい。それ以上本人にとって楽しいものを提供し続けるのは難しい。ゲームやTVの時間制限は、食事やお風呂、睡眠など他のよりやるべきことへの切り替えには効く。しかし、現時点で他に一人で暇つぶしする手段が乏しい以上、大人が他にやることがあって一人で(下の子はまだ一緒には遊べない)時間を潰さなければいけない状態では単にひまで苦しいということになる。本当はもっとリッチな体験を与えたくても、大人側に時間や体力の制限がある以上なかなか厳しい。

外に出て歩いたり、電車やバスに乗ったり、建物に入ったりできれば、その時はゲームばかりということにはならないのだけれど。見せる映像の多様性に関しては、本人がゲーム実況を見たいという前に先んじて実写映画なりアニメーションなりを移しておくと、そのまま興味を持ってみてくれたりする。

下の子(1歳5ヶ月女子)は、やたら周囲に愛想を振り撒きつつ強く生きている。知らない人にもしっかり目を合わせて笑いかけたり、幼児らしくガニ股でたどたどしく歩いたり、動くたびに奇声をあげたり、ともかくあざとい。食事は大人が食べているものを欲しがったり、逆に自分が食べているものを大人の口に突っ込んだりする。スプーンを扱うのも上手で、いつの間にか食べ切って、さらに残った汁まで飲み切っていたりするので、手間がかからない。

単なる顔の造作という意味だと、目はぱっちりしてきたものの頬が豊満すぎて、まだまだ不細工寄りだし、胴体や太ももががっちりしている割に手足はまだ短くて、体型もおっさんよりなのだが、全体としてはすごく可愛い感じになっている。身内贔屓ということではなく、他の園児や道ゆく人からもよく声をかけられている。小さい割にしっかり歩いているということも関係しているのかもしれない。

言葉は、「はい」は確実に発声しているが、そのほかははっきりしない。「パパパパパパ」「ママママママ」ということはあるけれども、両親を呼んでいるというよりは喃語のような気がする。逆にこちらの話していることはかなり理解しているようで、外に行こうというといそいそと玄関に向かい、靴下を履こうとしたり靴を手にして持ってきたりする。また、外を歩いているときに、指差してそっちに行こうとかもわかっているようである。大人のする指示の、半分ぐらいはわかっているような感じがある。

上の子のトイレトレーニングに興味津々で、横でじっと見つめているので下の子にも何度かやってみた。トイレに座ってくれるのはスムーズで、かなりやる気もあるのだが、おしっこをするタイミングは流石に掴めないようだ。正直、足が短くて補助座面を使ってもトイレに座るのはやや難しいし、

困るのはともかくなんでも口に入れるのと乳離れをしてくれないこと。路傍の石でも剥がしたシールでも、口に入れてニコニコしている。「よくないこと」をしているのはわかっているようで、イタズラっぽく笑ったり、口の中のものを隠したりするが、飲み込むことはなく最終的には出してくれる。ともかく、窒息がないようにしたい。

吉野弘の「菜々子」という詩にあったが、ともかく健康と自分を愛する心があれば良いと思う。躾に関しては、甘やかしは本人にとってはよくないし、世の中と折り合うには一定の身のこなしが必要だが、過剰に締め付けて伸びやかさを失ったり、自己肯定感を損なってはいけないと思う。ともかくフルに人生を生きて欲しいし、今の時間がそのための基盤になってくれれば良い。

育児日誌

上の子は3歳9か月男子、下の子は1歳2か月女子。

 

上の子は、複数の対象に注意が向く傾向はまだ強いものの、段々に道理が通じるようになっている気がする。

例えば、上の子は私にリングフィットアドベンチャーをやらせて、次はどのプレイをしろとか指示するのが好きなのだが、以前は私が上の子の意図と違うプレイをすると泣き叫んで止まらなかった。しかし、最近は少し文句を言うもののヒステリーにはならない。寝る前の歯磨きも抵抗はほぼしない。また、「グミをあげるからトイレに行こう」「ゲームをするのは寝た後で」など、ご褒美で釣ったり、物事に順番があることの説明はかなり通じるようになってきている。

歌を流す、背中をさするなどの寝かしつけに関しては、ずいぶん前から(1年以上?)不要になっている。明らかに眠そうにしていても、床に付きたがらず、布団に入ってから「牛乳」「ミロ」「辛いもの(ウィルキンソンの炭酸に)」が欲しい、ご飯が欲しい、と飲食を求めて、眠るのを拒否する。夕食でしっかり食べてもらうように気をつけてから、寝る際にご飯を求めることは無くなってきたが、飲み物を何杯も欲しがる癖は止まらない。

トイトレについては、保育園では時々漏らすもののパンツで過ごせているようだが、家ではたまにおしっこを出してくれる程度である。オムツからパンツに変えても、トイレが成功するわけでもない。ゲーム中に漏らして、パンツがびしょ濡れになってもゲームを続けていたりする。うんちはトイレで出すのに成功したことがない(保育園では緊張しているのか、うんちはまず出ないようだ)。他の子でも、うんちは最後まで難しいことが多いようなので、仕方がないが。

保育園ではトイトレに問題がない以上、発達の問題ではない。まだ尿意を感じづらく、コントロールもしにくいこと、ゲームや動画など面白いものを中断してトイレに行くのが面倒なこと、オムツの中に出す方が楽なので家では甘えていることなどが主な原因だろうか。本人が尿意を感じやすくなり、注意を切り替えやすくなったら家でも安定してくるのだと思う。

3歳ぐらいから?安定してひらがな、カタカナを読めるようになっている。もともと文字に興味を持っていたところに、ひらがな、カタカナ学習用のアプリをiPadに入れてやらせておいたら、自然に覚えた。数も数えることができる。こちらに関してはアプリの影響もあるし、一時期、数を数える幼児用の動画をひたすら見ていたこともあるかもしれない。幼児向け動画はともかく賑やかに数を数えるものが多く、日本語、英語、スペイン語、中国語など言語を問わずに閲覧していた。漢字であっても、頻出のものは読めるようになってきているようだ。「止まれ」など。

動画はYoutubeのものを関連動画から次々と選んで見ていく。タブレットであれば自分で選択するし、PCで閲覧しているときは指差したり、言葉で指定して、大人に選ばせる。動画の内容をよく覚えていて、特定のシーンを切り出して大人に「これを見せろ」と指示してくるのだが、どの動画だかわからないことがよくある。最初は英語の動画付き童謡などをよく聞いていたが、最近はゲーム配信動画が好み。

言葉はだいぶ発達してきて、保育園でしたことなども説明できるようになってきた。夫が買った小さいタブレットを「水たまり」(オープニングの画面で雨音がするので)、私のiPad proを「大きいの」、炭酸ジュースを「辛いの」と呼ぶなど、モノにオリジナルの名前をつけることが多い。おしっこが出ない時に、休日でも「うさぎ組さんで出ちゃった」という。保育園で出たと言うことを主張したいと言うよりは、おしっこが出ない時の言い訳に使うフレーズとして覚えているのだろう。

最近、保育園で運動会があった。ダンスは相変わらずやる気がないものの、競争は真面目にやっていた。ダンスではやる気のなさを近くの女子に咎められたようで、半べそになっていた。以前の運動会では全ての競技にやる気が出なかったようだが、ダンスに比べて競争はゲーム性があるので、やる気が出るのだろうと思う。

去年度は、保育園で保育士の指示に従ってくれず、発達障害の疑いをかけられ療育を勧められることもあった(しかし支援センターでは、遊んでいる様子をみて問題ない、療育よりは集団の中にいる方が本人のためになると言われた)が、今年度は担当保育士が変わったせいか、より保育園生活に馴染んでいるようである。去年度の担当には融通が効かない保育士さんがいて、苦手に感じていたようなのだ。

大人から見ると、自分がやりたいことをやることに貪欲で、素直に言うことに従ってくれないという「手のかかる子」ではあるものの、本人なりには努力しているし、乗り越えるべきことが多くて大変なのだろうと思っている。2歳代までは、よく食べて元気であればよかったが、3歳に入り、徐々に集団生活に合わせる必要が出てきて、自分の欲望だけでなく外部に合わせる必要が出てきている。自分の欲望を律して、規則正しい集団で生きていくのは、誰もが成長の過程で通る道ではあるが、上の子にとっては特に大変なのだろうと思う。

これをやりたい、あれはやりたくないという衝動は、生まれもった脳の性質による部分が大きくて、自分でコントロールしようとしてもままならないものだったりする。脳波だって、大人の脳波と子供の脳波ではまるで違い、大人の脳波を見慣れていると子供の脳波はまるでてんかんのように見える。大人が思うより、本人も絶えず衝動に突き動かされていて大変なのだろうと思う。

上の子には、間違いなく発達障害的な(特にADHD的な素因)はあると思っている。退屈を許さない。それは必ずしも悪いことではない。素晴らしい才能のある人間、大きなことを成し遂げる人間には発達障害の割合は多い。興味の偏りや、情報への渇望が大きなことを成し遂げるには必要なのであろう。上の子も、知的な能力は高いのではないかと思っている。

 

下の子は、はっきり有意義語と取れる発声はないが、少なくとも音は聞き取っているようだ。よく発声練習をしている。ママママママとか、パパパパパパはよく言っているので、人によっては有意義語にカウントするかもしれない。1ヶ月ほど前に靴下か靴かを出した時に、「はく」と小さな声で言っていたような気もするが、はっきりしない。

周囲の状況はよくわかっているようで、服を脱がすときは手を挙げるとか、おむつを変えるときに服を持ち上げるとか、こちらの行為をアシストする動きをしてくれる。帽子を被るのが好きで、靴下を見せると自分で履こうという素振りをする。外出から帰ってきた時は、玄関で靴下や靴を脱ごうとしてくれる。大人が外に出かけるような素振りをすると、玄関に向かう。

この前驚いたのは、「外に行こうか」と話していたところ靴を玄関から持ってきたこと。意外と大人の話すことを理解しているのかもしれない。

歩行は徐々に安定してきており、家の中で移動するときは歩くのが基本になってきている。歩きはいかにもtoddlerといった様子で、ディズニー映画のミッキーが歩くような、足を広く横に広げた後方重心である。重心移動しながら足を踏み出す、ではなく、まず足を踏み出してから重心移動という順番である。不安定なのか疲れるのか、しゃがみこむことは多い。服や靴は割と汚れる。

キッチンが大好きで、キッチンとリビングを隔てるドアが開いていると入ってきて、戸棚の中の包丁を取り出して笑っていたりする。最近は徐々に我が強くなってきて、自分が入りたい場所に入るのを禁止されると泣く。

下の子は上の子よりなんでも口に含む傾向が高く、なんでもガジガジとする。この間は、地面の石をいじっていると思ったら舐めていた。産院にいた時より、延々と中指と薬指を口に含んでいた。おっぱいもお腹が空いていなくても吸いたがるし、何かしら口に入れたい欲望が強いのだろう。

食事に対する欲望も強く、飲み残したミルクを放置しているといつの間にか飲んでしまっていたり、食べ残しのご飯やおにぎりを知らぬ間に食べていたりする。

キーボードのトラックポイントニンテンドースイッチのコントローラーを取り外して舐めるのも大好きだ。歯応えがちょうど良いみたいである。

上の子も小さい時はトラックポイントを外すのが大好きだったが(赤いから的になりやすいのだろう)口に入れはしなかった。

動画を改めて見返してみても、下の子は上の子に比べて、歩き方がたどたどしかったり、喃語が多かったり、ともかく赤ちゃんぽさが強い。上の子と違ってゲームで満足させられない分、いい子であっても手間はかかる。

下の子は欲求が充足されている分にはご機嫌で、自由にいじっていいおもちゃに囲まれている分には手のかからないいい子なのだけど、なにぶん、家は洗剤だのPCだの、いじっちゃいけないもの満載なので、入ってはいけないエリアに忍び込んでは、大人が抱き抱えて元に戻すということを繰り返す。口の中にはトラックポイントが入っていて、ニコニコしながら「はい」と大人に差し出してきたりする。

子育ては賽の河原である。

 

育児記録

上の子にリングフィットアドベンチャーとあつまれ動物の森を教えた。熱心にプレイしている。
もともとは、夫が私のタブレットを奪うのを見かねて上の子用にタブレットを買い与えたのだが、タブレットに夢中になり見る時間が長すぎて近視になるのが怖いので、プレイ時間を減らすためわたしがさらにリングフィットアドベンチャーを教えたという流れである。そして、リングフィットアドベンチャーをはじめてからやや筋肉質になりすぎてしまった気がするので、さらに動物の森を教えた。
リングフィットアドベンチャーは市販のものをそのままつけるとバンドがさすがに細く、太ももから落ちてしまうので、バンドのみ買い足して、短く作り直したものをつけてもらっている。
当初は、リングコンを下に向けて押すなど複雑な操作はできないかなと考えていたのだが、リングコンの操作だけでなくボタン操作もすぐに覚えて、いまでは放っておいても勝手にプレイしている。むしろ自分の親の世代よりも飲み込みが早い。無計画にスムージー(ゲーム中の回復アイテム)を飲んだり、ウェアを買いまくったりしてすぐに稼いだコインがなくなってしまうのはご愛敬。
魔物と戦うのはあまり好きでないようで、魔物が前にでてくると、リングコンを下に向けて押すことで魔物を飛び越して戦うのを回避してほしいと大人に頼むのだが、いつもすでに魔物に近くなりすぎてタイミングを逸している。精密にタイミングを合わせる必要がある操作は年齢的に難しいようだ。
あつ森については、楽しく遊んでいるようだが、もともと自由度が高いアプリなのでどこまでが本人の意図した操作でどこからがそうでないのかがわからない。
タブレットも、特にレゴのアプリなどはよくできていて遊び方が多様性があるし登場人物の造形やモーションも魅力的だが、年齢にそぐわないアプリがレコメンドされてしまうのが困る。
アナログに飽きたというわけではなくて、絵本も見かけると読んでほしいとせがむ。特に、次々とアイテムを指さして大人に聞くのが大好き。
できるだけアナログで遊んでほしいと思っているのだが、何しろどんどんと注意が移り変わっていき、全部つきあっていないと破壊的行動にでるから、疲れているときや他にやりたいことがあるときは辛い。一回外に出てしまえば、ただ歩くのも好きなのでそっちのほうが楽なのだが、状況が変わるのがきらいなので外にでるのもいちいち抵抗される。ゲームならゲーム内に変化があるのである程度続けてやってもらうことができる。
それに案外、画面が近すぎて近視になるかもしれない問題さえ解決すれば、ゲームも悪くはない。任天堂スイッチをディスプレイにつなげてプレイしている状態であれば、みんなで同じ画面を見ることができるので、ゲームをつなげてコミュニケーションができる。あつ森で複数人が同時にログインすれば、擬似的に外で遊んでいるような形にもなる。
とはいえ、もっと家が広ければ家の中で十分に遊び場が確保できるのかな?と思うけれども。言葉はますます多様になり、3語文などはもうとっくに超えて、複雑な文法も扱えるようになってきている。ひらがなやアルファベットは部分的にわかっているようだ。「○○食べたの」「○○楽しかった」などと過去の経験を共有する発言も増えてきている。単語数もどんどん増えているが、夫はなかなかお父さんとは読んでもらえず、「眼鏡のお母さん」のままである。

下の子は、まだお座りやはいはいはできないものの、寝返りや水平方向での回転はできるので、しらない間にテーブルの下に入り込んでいてびっくりすることがある。コードや紙が大好きで、近くに落ちていた紙がボロボロになったり、コードがよだれまみれになっていたりする。基本的にはにこにこしていていい子なのだが、単純なうなり声であってもボリュームが大きく、存在感がある。また、人の存在を求める傾向が強く、布団部屋で一人で寝転がしておくとだんだん怒り出し、人が隣で寝ると落ち着いてくる。
6ヶ月を超えたので離乳食を始めたところ、最初の2週間ぐらいはうまく飲み下すことができなかったが、最近になってごっくんすることを覚えた。食べ物をのせたスプーンを差し出すと一瞬で奪い取り、ガジガジしている。

育児日誌2

育児日誌2。

下の子(3ヶ月、女児)は徐々に運動機能が発達してきている。首はすでに座り、自在に動かせるようだ。周囲の景色に興味を持ってあたりを見回しているので、夜はベビーコットに入れているが、昼は少し角度をつけたバウンサーに寝かせて視界を広くとれるようにしている。近くを人が通ると目で追い、目があうとにっと笑ってくれる。あまり手のつけられない泣き方はしない。お腹がすいたときは激しく、お腹の調子が悪いときはうなるように、人寂しいときは悲しそうに泣くので、だいたいなんで泣いているのかわかる。

上まぶたは夫に似て、脂肪の乗った一重なのだが、目を開く力は強くぱっちりとしていて、さらにややつり目なので、普段は目つきが鋭くみえる。笑うと可愛らしいので、表情により顔の印象がかなりかわる。歯がない時期の、赤ちゃん特有の口の、やや締まりのない口の形が可愛らしい。

上の子の同じ時期と違うのは、ともかく喃語が多く、人との関わり合いを求めてくる。喃語の多さは、赤ちゃん訪問で来訪した助産師さんにも指摘された。午前中などひたすら一人で話しているときもある。また、喃語を出しているときに、大人が顔を見つめてよいタイミングで応答すると、喃語で返事を続けてくれる。上の子は、この時期は自分内の快不快と、自由に動きたいという欲求で生きていて、他の人間との関わり合いはそこまで求めていなかったように思うのだ。言葉の多さも、社会性も、やはり男女で違うのかもしれない。

手足が伸びて、背のびをするときも手が頭の上まで伸びるようになった。また、手をじっとみつめたり、両手、両足をこすり合わせたり、ただバタバタと動かすばかりでなく、運動を調節できるようになってきている。

健康については概ね問題がないが、マイナーな問題として異所性蒙古斑と先天性鼻涙管閉塞と脂漏性皮膚炎がある。異所性蒙古斑は右腕、右脚、左肩にある。太田母斑に比べて、異所性蒙古斑は自然消失しやすく、レーザー後の色素沈着・脱失などのトラブルが起こりやすいそうで、治療するかどうかは親の判断によるところが大きいそうだ。大きくなって力が強くなってからの治療は面倒そうなので、色が濃い箇所だけレーザーで焼いてもらった。今は焼いた部分は逆に色素が抜けて白くなっている。先天性鼻涙管は6ヶ月以上にならないと治療対象にならないそうで、目やにが出るのは抗菌薬で押さえて、気が向いたときに治癒を促すためマッサージをしている。脂漏性皮膚炎は髪が生えたところにかさぶたのような皮脂がひっついているので、油でふやかして、少しずつはがしている。

かなり排尿や排便の間隔が伸びてきていて、まだおむつがぬれていないのかとびっくりするときがある。かと思うと、バウンサーに乗せた後、二度も三度も排便が連続し、おむつから漏れているときもある。おむつをSからMに替えても背中からの漏れは続いていて、バウンサーのカバーを三日連続で洗った。カバーは化学繊維のメッシュでできていて、短い時間で渇くが、さすがに毎日となると取り外すのも洗うのも面倒くさい。どうやら排便の勢いにおむつが勝つことは無理なようなので、タオルでお尻からカバーを守る運用にしている。

これから大きくなればまた別のかわいさを獲得するだろうが、意思疎通をもっと取りやすくなると、人より神様に近いような存在であることに起因する今の尊さは薄れていくだろう。

上の子はますますイヤイヤ期の勢いが強くなっている。最近は歯を磨くのに手こずる。自分で磨くのはむしろ好きなようだ。新幹線の絵がかかれたトミカの歯磨きがお気に入りで、何分も自分で磨いている。しかし、親に磨かせるのがいやなようだ。「歯磨き上手かな」という歌に合わせて同年代の女の子が歯を磨いているのをみせて、動画内で親の仕上げみがきに代わるタイミングでこちらでも歯磨きを奪い取り仕上げ磨きをしようとするのだが、なかなか抵抗されてうまくいかない。無理矢理歯磨きをすると、心理的に引きずってその後暴れたり泣き続けたりするので、なるべく同意の下進めたいのだが。何かのタイミングですんなり親に磨かせることがあり、おとなしく磨かせているなと思ったら、終了後にまた怒り狂ったりするのでよくわからない。気に入らないものを遠くにやりたいのか、歯磨きを投げたり、隣の部屋の戸をあけて放り込んだりする。

オムツを脱ぐのもいやなようで、大人を真似ているのか「まだまだ」「ちょっと待って」といって拒否する。うんちが出ていても拒否するので、やっとオムツがとれるころにはべったりと臀部に張り付いていて苦労したりする。

最近は寝るとき専用の音楽(岬巡りや風をあつめてや般若真教など)をかけると寝るモードに入るようになり、寝かしつけは必要としなくなってきたのだが、眠りにつくのは名残惜しさがあるようで、一度寝る体勢に入ったあと、「りんご」「牛乳」「ジュース」など言い出すのが困ったところ。どうも夕食の時点でしっかり食べてくれず、寝る時点で小腹が空いていたり喉が少々渇いていたりする影響もあるようだ。食物や飲み物の要求は多少無視してもいいのだが、トイトレ中なのでトイレの要求は無視しづらいのは困ったところ。実際おしっこをしてくれるときもあるはあるのだが、たいていはアンパンマンのキャラクターを指さしたり、股の間からトイレットペーパーを落としたり、手を洗ったりして遊ぶのが目的だ。

また、いままでなかった傾向として、食べ物でないものをなめるようになってきている。誤飲の原因になるので止めさせたいのだが、親を下の子に奪われたことも影響しているかもしれず、あまり叱るのもなといったところ。

下の子を妊娠して後期に入ったころだろうか、上の子が妙に接触を求めるようになった。保育園の先生からも変化は明らかであったようで、ケアしてほしいと言われた。今もその傾向は続いていて、足に抱きついてきたり、私の膝に体をもたせかけながらゲームしたり、就寝時もやたらと上に乗ってきたりする。下の子の世話を妨害する様子もあり、下の子を抱いているとベビーコットに戻せと訴える。下の子とコットを指さし、「これ、上から、入って!」と連呼するのだ。授乳クッションを引っこ抜いたりして、やや危ないこともあった。幸い、下の子自体に危害を及ぼすことはない。下の子が泣いていると、「赤ちゃん、泣いている」といい、あやせと我々に促すのだが、ただ単にうるさいのだか、下の子を気遣ってのことなのか、いまいちわからない。ただし、いままでは上の子は家庭の中で一方的に可愛がられ、世話を見られる存在であったのだが、下の子が生まれて変化してきたのも確かだ。特に沐浴中は両親とも下の子にリソースを取られるので、自分と一緒にいろと、わたしの足を引きずって自分が遊ぶ居間のほうまで引っ張ったりする。遊び半分だが、「お母さんいない」「眼鏡(夫のこと、お父さんという呼び方はなかなか覚えてくれない)いない」と探し回るような仕草をするときもある。自分と違う家族の存在が、本人の中でくっきりしてきたようである。

ものを指す言葉(「車」「お花」など)の習得はもともと早かったが、最近は色の名前をほぼ習得し、数字も1や0など一部は覚えてきている。少しずつ世界の解像度が増しているようだ。

育児日誌

気分が乗ったので覚えていることを忘れないうちに書いてしまおう。

上の子(2歳9ヶ月男子)は、産まれたばかりのときはおとなしいもんだと思ったけれど、いまでは立派に手がかかる(分だけ可愛らしい?)子に変貌している。

新生児のときは、ともかく母乳を直に吸ってくれないのが困ったけれど、夜泣きなど理由なく泣くこともなく、楽なほうであった。1ヶ月も経つと直接母乳もできるようになった(最初は口が小さいこともあり吸いにくかったのだろう)。それからしばらくして、夕方に苦しそうに泣くようになった。お腹がぽこぽこと音をたてていたり、小さなおならをすると少し楽になる様子があったりしたので、なぜかガスがたまってしまうのだろう。西洋では、ガスが出にくい母乳になるよう、特定の葉物野菜を制限したりするらしい。日本ではあまり聞かないが。ロイテリ菌が効果があると聞いたので試してみたが、継続期間が短いせいか効果ははっきりしなかった。結局、だっこして背中をなでてやり過ごすしかなかったが、成長するにつれて泣かなくなった。ともかく育児は時間が解決することが多い。

バウンサーに乗せていると機嫌がよかったが、身体能力が上がるにつれて、身をよじってバウンサーを抜けてしまうようになり、ジョイントマットを敷いてその上で遊んでもらうようにした。

多くの人が力を入れる離乳食については、食育的なことは考えず、ともかく鉄分を摂ること、アレルギーを検出することに目的を絞って、省力スタイルでいった。母乳にはほぼ鉄分が含まれておらず、離乳食を始める6ヶ月ごろに乳児の体内の鉄が枯渇するため、離乳食は鉄分の補給が重要である。国内の離乳食はあまり鉄にフォーカスしてないので、iHerbで海外の粉状の離乳食を取り寄せた。保育園からクリアすべき食材が渡されるので、順番に砕いて入れていった。どうせ最初のころは味がいまいちわからないので、何を入れようが子どもは食べる。新しい食材の導入はアレルギー出現時に病院を受診しやすいよう平日の朝、というルールにもこだわらなかった。どうせアナフィラキシーで気道が狭窄したら救急車を呼ぶしかないし、皮疹ですむ程度のアレルギーであればいそいで小児科を受診する必要もない。

だんだん運動能力が上がってくるに従って、いたずらに困らされるようになった。ともかく、ボタン類をいじること、隠してあるものを見つけ出すのが好きなのである。本棚をよじ登って部屋の照明を消してしまう。PCの電源を落としてしまう。台所には容易に入れないよう可動式の柵がもうけてあるのだが、親が入ったすきに自分も入り込んで、ガスの火をつけてしまう。乾燥機の電源を切る。お風呂のコントロールパネルをいじって、何度も追い炊きする。いじっては困るものは高い位置に置くのだが、棚をよじ登ってしまうので、彼の行動範囲には大切なものはおけない。食べ物で遊ぶので床も汚れる。仕事と育児の両立でいっぱいいっぱいなのと、自分に片付けの能力がないのも相まって、いわゆる汚部屋でうんざりしながら過ごすことになった。どうせ片付けても汚れると思うと片付ける気にもならない。

言葉の発達は遅いほうであった。最初に覚えたのは「ワンワン」であった。ともかくものを指さしては「ワンワン」といっていた。保育園の近くに犬を飼っている家があり、「ワンワンだよ」と保育士の人が犬を指さして言っていたので、ともかく指さしてワンワンと言えばいいものだと思ったらしい。一歳半健診では、最初に犬を指して「ワンワン」と言ったので、わかっているかと思いきや、ほかの絵に対してもワンワンと言っていたのでありゃりゃという感じだったようだ。とはいえ、この手のことはよくあるよう。

2歳になるころにはイヤイヤが爆発した。我々がすることなすこと気に入らないらしく、ものを投げる投げる。自我が出てきたのだろうか。ともかく大変。わたしの母親には、口で言ってもわからないなら手をたたいたりして止めなさいと言われた。しかし、わたしの性格なのか、イヤイヤにはうんざりするし、疲れるけれど、あまり腹が立つという方向にはいかなかった。それに、子育てに関する研究を読むと、体罰はやっぱりよくないようなのである。特に、子どもは周囲の人を真似るので、体罰で育てれば暴力的になるという説には説得力があったので、体罰は行わなかった。まぁ、口ではどうにもならないので、必要に応じて身体拘束はするけれども。子どもの脳波は大人とは全く違って、大人の脳波を見慣れている人からするとてんかんに見えるほど激しいらしいのである。髄鞘化が不十分なので、ニューロンの興奮が近隣のニューロンに伝わりやすい。かんしゃくが脳の性質に由来するなら、むしろ苦しいのは本人なのだろう。と思うと、大変ではあっても腹は立たない。

2歳3ヶ月のときに、正月を迎え実家で姪やおいたちと過ごしたところ、語彙が目に見えて増えた。大人や同い年の子たちと過ごすのと違い、少し年が上の子どもたちと過ごすのは刺激的なようだ。どうやら、本人の中でヘレンケラーのWater的気づきがあったようで、それからどんどんと言葉が増えるようになり、それとともにやることなすこと気にいらず、ものを投げまくるといった第一次イヤイヤ期は収束していった。それから、「これは~」と周囲のものを指さし、大人に答えさせるのが習慣になった。もう習得した言葉の数は数え切れないほどになっている。車の種類も、最初は清掃車とトラックと救急車を区別していなかったようだが、今は的確に判別できるようになっている。

今は第二次イヤイヤ期とでも言うべき状態に突入している。「保育園にいく」「保育園から帰る」「眠る」といった、状態の遷移に手こずる。保育園に行くときは、洋服を着たり、玄関に移動したり、登園の用意に抵抗する。保育園から帰るときは、遊具を順繰りに遊んだり、ナンバー式の鍵をおしたり、園の門を固定している水の重りをひきずってどかしたり、ともかく遊具やボタンで遊び倒す。そしてベビーカーに乗るのは体をくねらせて抵抗する。眠るときには、何か食べたいとか、飲みたいとか、トイレに行きたいとか言い出して、なかなか落ち着いて横になってくれない。特にトイレに行くことに関しては、我々が断れないのをよく知っていて、なんども行きたいという。そして、服をぬがず便座にも座らずぐだぐだと、幼児用便座に描かれたアンパンマンドキンちゃんを指さしては「これは~」と聞いてくる。そして、儀式的にトイレの便座に座って、トイレットペーパーを股の間からちぎって落として、手を洗いに行って、を繰り返すのである。

それでも、登園や就寝については、どこかのタイミングでスイッチが切り替わって、本人から「行く~」「眠ろう!」と言い出すのであるが(眠るのに関しては、親二人とも眠ることを要求するので、一方が寝かしつけを担当してもう一方は自由に過ごすということができない)、降園については、ベビーカーに乗るのを激しく抵抗するので、30分ほどかかることもあって本当に大変なのである。もう、今ではベビーカーに乗せて帰るのはあきらめて、一緒に歩いて帰ることにしている。途中、人の庭や畑に入り込もうとしたり、自販機でジュースを買いたがったり、文字や塀の模様に興味津々だったり、遠回りの経路で帰りたいといって聞かなかったりするので、まぁ時間がかかるのだが。でも、保育園の庭で遊びたがるのを格闘して押さえて過ごす30分より、目に映るさまざまなものに興味をもって楽しみながら過ごす30分のほうがずっといいだろう。大きくなったら絶対に覚えていないだろうが、こういう瞬間の積み重ねが本人の糧になっているのだ。人が育つのというのは、きっと効率ではないのである。

遊びについては、最初のころは、保育士さんに「絵本と音楽と機械が好きですね」と言われていた。他の子と比べて、やはり特筆すべきなのは機械への興味だろう。ボタンがあれば、保育園のものでも、我が家の中でも、知らないマンションの玄関にあるものでも、とりあえず押しに行く。大人の操作もよくみていて、正確に真似をする。絵本は、親が読むのを聞いているというよりは、自分がめくって親に読ませるスタイル。絵本の中に食べ物が出てくると、つまんで食べるふりをするのが可愛らしい。音楽にのって体を動かしたり、手をたたいたりするのが好きで、最近は歌詞を暗記してかなり正確に歌うようにもなってきた。カワイのミニピアノも、時々みずから演奏していたりする。

好きな動画も時期によって変化している。当初は歌が好きだったが、今は Super JoJo, Baby bus, pepper pigなど幼児向けのアニメーションが好きな様子。ピタゴラスイッチやムジカピッコリーノや6:55など、NHKの番組も楽しんでみているようだ。特にムジカピッコリーノはカポエイラの回が好きなよう。ウルトラマンはより大きな子向けだと思うが、刺さるものがあるのかまじめに見ていた。気分によって見たい動画が違うようで、意にそぐわない動画を選ぶと「違う違う」と言われるが、なかなか何の動画を見たいのかわからない。

夫が幼児向けのゲームを入れたアンドロイドのタブレットを与えたところ、中毒気味に見えるほどのめり込んでいる。アプリ選択の画面で雨が降っているような音がするので、タブレットのことを「みずたまり」と呼んでいる。特にレゴ社のアプリがお気に入りなようで、笑ったり叫んだり、大きくリアクションしながら楽しんでいる。

下の子はおおむねおとなしい。2ヶ月頃までは母乳を飲みまくっていたが、最近は満腹の感覚があるようで、途中でやめるようになった。と、ともに顔もすっきりしてきた。目がぱっちりし、睫が徐々に伸びてきている。上の子と比べて強くカールしていて、目尻で跳ね上がっていて麗しい。太ももが太くなるのも、ひとまずはピークアウトしたようである。手足もすごく長くなって、おそらく現在、身長60CMは超えて65CMに近づいている。

産まれたばかりのころは、首が大丈夫かと思うぐらい横を向いてばかりいたのが、正面を向いたり、人がいるほうに顔を向けることが多くなった。産まれたころは反射に動かされてばかりで自発的な動作に乏しかったのが、徐々に原始反射のくびきから解き放たれてきたようである。興味深そうに周囲を見回して、表情を次々と変化させている。ごく時折、断続的に泣くようなときもあるが(主に便が出ないときのようだ)、満腹のときは基本、手がかからない。最近は喃語がとても激しい。さてどんな子に育っていくのだろうか。

第一子産後、もろもろ

第一子出産後に書いた文章が発掘されたので掲載。


出産と産後はいろいろ痛かった。
妊娠は比較的楽だった。つわりは軽く、後期の腰痛もほとんどなく、つらいのはお腹の張り(子宮の張りではなく腹筋や皮下組織がパンパンにのばされるつらさ)や眠れないことぐらいであった。出産の準備に入ると、ミニメトロを入れるのが痛くて、点滴のラインもしくしくと痛み、過強気味の陣痛はもちろん激痛だった。麻酔を入れたから産む瞬間は痛くなかったし、会陰縫合も問題なかったけど、直接授乳はそのたび痛く、助産師さんにしてもらった乳頭マッサージももちろん痛かったから声をあげたら自分でやれと怒られた。
産院から帰宅してからは会陰縫合が引きつれてまともにあるけず、乳房はぱんぱんに腫れて熱をもちジンジンちくちくと痛むし、マッサージも我慢したけれどしみじみと痛かった。
赤ちゃんは授乳時に暴れるから、手が乳房にあたるのも痛かった。足がぱんぱんにむくんで膝や足首を曲げるのにも難しくなったのには少々参った。
今は授乳間隔が空いたときの乳腺がきりきりと痛むのと、乳首がブラにつぶされこすれるのが痛い。
出産は病気とはちがって健康な人間に起きるイベントで、幸せなものだけど、痛みや苦痛が多い(生半可な病気より痛いイベント多いんではないか?),(楽しみなこともあるけれど)先行きがわからなくて不安が多いという点では共通しているような気がする。
この痛みは、つらさはいつまで続くのだろうと検索すると、みな同じことを考えるようで、「○○ いつまで」と suggestion が出てくる。
マイナートラブルはつらい。内診台の上では、産科医と対等に話すのは難しい。つらいなかでもめどがつけば乗り切れる。そういうことが、今回わかった。


出産して、赤ちゃんをみていて、時間があっという間に過ぎるものだということに気がついた。
お腹がすいたら授乳するし、泣いたらあやす。機嫌がいいならいいで可愛らしいし、自分で思うようにうごけないのに一人で放っておくのはかわいそうだから、そばによって語りかけたりする。お腹もすくから食べたり食事したりするし、風呂にはいったり歯を磨いたりする。と、まるで時間がない。
赤ちゃんの時間も過ぎていく。産まれたばかりは焦点が合わずどろんとした目が、どこをみているかしっかりわかるようになってくる。いつも手も足もM字型に縮めていたのが、徐々に緩んでくる。顔は、出産後にむくむくに腫れていたのが、一度すっきりしてから、また脂肪をたくわえて頬が落ちんばかりに膨らんでくる。抱っこひもの中にすっぽりと入り込む大きさだったのが、生後1ヶ月半で頭が8割がた出るようになった。それだけお尻とふとももに脂肪をたくわえて座高がのびたのである。
表情もだんだん多様になってきた。機嫌のいいときにすっきりした顔でにこにこと笑うのはもちろんかわいいけれど、泣くときに目も口もくしゃっとつぶれて顔が大きくなってしまったり、下唇を突き出して困った顔したり、寝る前に表情が固まり虚空を見つめたり、ころころと表情が変わる。
授乳後に気持ちよさそうに腕を突き上げるの、本当に可愛らしい。
たぶん、これから今よりもっと可愛らしくなるのだけれど、今の可愛らしさは失われる。一日一日が無駄にできない。